ノリス兄弟 Sir Norreys

Norris-arms

In Wikimedia Commons

初代ノリス男爵ヘンリー一世の6人の息子たち。うちオランダで義勇軍として戦った3人を取り上げます。残りの3人も軍人で、主にアイルランドで戦っています。次男ウィリアムは熱病で1579年に、五男トマスはヘンリー二世とともにアイルランド戦線で1599年に、六男マクシミリアンはジョンに率いられたブルターニュ戦線で1592年にそれぞれ亡くなっており、エドワードを除いて全員が父ヘンリー一世に先立っています。彼らにはほとんど子供がなく、唯一の後継ぎは早世した次男ウィリアムの長男・初代バークシャー伯フランシス・ノリスのみです。

Henry Norris 1st Baron Norris of Rycote

Unknown (1585)初代ノリス男爵ヘンリー一世 In Wikimedia Commons

ここに挙げた3人はいずれも軍歴は長いのですが、オランダで戦っていたのはレスター伯の帰国くらいの時期までで、その後は「アルマダ」を経てフランス、その後さらにアイルランドに転戦しているので、ちょうどオランダで始まった軍制改革を経験していないことになります。また、やはりエドワード(ただし1590年には政治家に転身)を除いた全員がエリザベス時代に命を落としていることも、「前時代の戦士」というイメージが強い理由かもしれません。

ジョン・ノリス John Norreys

English School - Portrait of Sir John Norris - late 1580s

Unknown (late 1580s) In Wikimedia Commons

  • ノリス卿 Sir Norreys、マンスター長官 Lord President of Munster
  • 生年: 1547 ヤッテンドン城(英)
  • 没年/埋葬地: 1597/7/3 マロー(アイルランド)/ヤッテンドン(英)

生涯

おもにアイルランド、フランス、ネーデルランドを行き来して活躍した将軍です。ヘンリー一世の長男。

1570年代初め、フランスのコリニー提督のもとで義勇軍として軍事キャリアを開始します。アイルランドでの軍務を経て1577年にネーデルランドの反乱軍に合流し、アウストリア公ドン・ファンと戦って敗れています。ほかにもベルデューゴ将軍の軍に完敗したり、アンジュー公を支援してしまったりと、あまり武運には恵まれていなかったようです。

なお1579年、メヘレンで配下の兵士たちが「イングランド軍の狂暴」という略奪事件を起こしてしまいました。これを期に隊内の軍規の強化に務め、ノリスの軍は規律の良さで有名になりました。アンジュー公の失脚後、エリザベス女王の命でイングランドに戻り、いったんアイルランドに投入されます。

が、その後アントウェルペン攻囲戦(1584-85)の噂を聞くと居ても立ってもいられなくなり、五弟トマスに後を託すと再度ネーデルランドにやってきました。翌年、レスター伯がネーデルランドへやってくるとその下でいくつかの攻囲戦に参加しました。イングリッシュ・アルマダ(ドレイク=ノリス遠征と呼ぶ場合もあるようです)など海戦にも参加しています。1590年代はフランスでアンリ四世の第八次ユグノー戦争を助け、1595年からアイルランドへ転戦しました。

アイルランドでは相次ぐ負傷と病気から徐々に体調と精神を病み、最後は壊疽を悪化させて病死しました。

喧嘩っ早い性分からか、エリザベス女王、レスター伯、エセックス伯などからの覚えはあまり良くなく、レスター伯に至っては、彼の不倶戴天の敵であるサセックス伯と同じくらい嫌われた(しかし後に和解)らしいです。

リファレンス

エドワード・ノリス Edward Norreys

  • ノリス卿 Sir Norreys、アビンドン議員 MP for Abingdon、オーステンデ知事 Governor of Ostend、バークシャー主席治安判事 Custos Rotulorum of Berkshire
  • 生年: 1550? ワイサム(英)
  • 没年/埋葬地: 1603/10 エングフィールド(英)/ヤッテンドン(英)

生涯

1590年までは兄ジョンとほぼ行動をともにしていた三男。1586年に兄弟たちと一緒にレスター伯によってナイトの称号を授けられています。喧嘩っ早いのはエドワードも同じで、とくにレスター伯時代のネーデルランドでは、ホーエンローエ伯との仲が険悪で、決闘騒ぎを起こすこともしばしばでした。

1590年、オーステンデ知事に任命されてからは、政治家の道を歩むことになります。後のイングランド大使ダドリー・カールトンはこの時代のエドワードの秘書です。1599年にエドワードが帰国したときもそれに従い、執事としてしばらく仕えていました。エリザベス女王はエドワードを気に入っていて、長兄ジョンの死後、両親の元に戻るようエドワードに進言し、結婚の世話をしたのも女王です。その返礼に、エドワードも自宅へ女王を招いたりもしています。

しかしエドワードは1601年、父ヘンリー一世の死の直後頃から深刻な病気にかかり、1603年、女王の死の半年ほどのちに病死しています。

リファレンス

ヘンリー二世・ノリス Henry II Norreys

  • ノリス卿 Sir Norreys、バークシャー議員 MP for Berkshire
  • 生年: 1554 ワイサム(英)
  • 没年: 1599/8/21 フィニターズタウン(アイルランド)

生涯

1585年のアントウェルペン攻囲戦を皮切りに、長男ジョンとずっと行動を共にしていた四男。1599年、エセックス伯麾下のアイルランド戦線で戦死。

リファレンス